ダビデ像は他にもあった。中性的なダビデ像のモデルは実在した?

ダビデ像2種類

ダビデ像と言えば誰もが知っている彫像です。
若々しく凛々しいお姿が有名ですね。ところが
ダビデ像は、他にもあるんです。

その中に、一際目を引く中性的なダビデ像があ
ります。一見、架空の創作物に見えるのですが
妙に艶めかしくリアリティー溢れる瑞々しい感
じは、モデルの存在を感じさせます。

今回は、この中性的な彫像について中性的美術
モデルの僕が、実際にモデルをして中性的なダ
ビデを別な技法で表現してみました。

では、有名だけど意外と知らないダビデ像につ
いて、ちょっと深掘りしてみます。

(注)
始めに、今回は有名な美術作品を扱うという事
で画像の扱いに悩みましたが「芸術作品」とい
う考えで無粋な処理はしておりません。
画像は小さめにしてありますが、もし御不快に
感じられる方はご遠慮ください。

 

ミケランジェロのダビデ像

ダビデ像

フィレンツェ・アカデミア美術館所蔵

恐らく大抵の人は見たことがある彫像ですね。
フィレンツェの若き天才彫刻家ミケランジェロ
・ブオナローティさんの作品です。

時は、芸術が盛んなルネサンス期(14世紀~
16世紀頃)中世の美術暗黒時代から、ギリシア
彫刻などのリアリティーを再び!と、様々な芸
術家が活躍した時代です。

ミケランンジェロのダビデ像は、大聖堂に飾る
旧約聖書を題材にした巨大な彫像の一つなので
すが、実は複雑な事情を経て完成しています。

当初は、芸術家ドナテッロの弟子が1464年
に作り始めたのですが、師匠が1466年に死
亡した後、ほったらかし状態になります。
ミケランジェロが作り始める1501年まで、
実に35年も作りかけ(ほんの一部だけど)で
雨ざらしに放置されたのです。

やがて、どうしても完成させて欲しいと色んな
芸術家に打診します。
この時、有名なレオナルド・ダ・ヴィンチにも
打診されたそうですが、結局若手のホープだっ
た「ミケランジェロ」が受注します。
そうして約4年の月日をかけて完成します。

 

ダビデ像は、他にもあった!

ダビデ像3種

画像:Wikipedia

この3体を見て全部ダビデ像だと解る方は、
かなり美術通な人かなと思います。

有名な凛々しいお姿とは、全く雰囲気が違う彫
像。実は、これもダビデ像なんです。

作者は、左から、ヴェロッキオ、ドナテッロ、
ミケランジェロです。
左の二つはバルジェッロ国立美術館所蔵です。

「ダビデ」自体は、イスラエル王国ダビデ王で
すから、それにちなんだ彫像や絵画があっても
不思議ではありません。
彫像のシチュエーションは、ダビデ王が若い頃
に、暴れん坊のゴリアテという屈強な大男を得
意の投石ひとつで倒したところです。
左の彫像の足元にある不気味な物は、その時に
倒したゴリアテの首です。
ミケランジェロの作品は、まさに石をぶん投げ
ようと構えている姿です。
(めちゃ簡単な説明で済みません)

えっ?そうなの。という人、意外と多いかな。

ミケランジェロが有名すぎて、他の二つは知名
度が今ひとつ。僕自身も、目にしたことはあっ
たけど「え、これもダビデなの?」と思ったく
らいです。

ダビデにに関する作品は意外と存在します。
絵画も含めたら、たくさん題材にされているダ
ビデ君。今回は、この三体をベースに中性的な
ダビデを中心に話を進めていきます。

 

中性的なダビデ像が作られた背景

ダビデ像3種と作者

三種類のダビデ像と作者を並べてみました

美術に興味がない人だと左の二人は知らんな~
という感じでしょうか。

それにしても、ミケランジェロの作品に比べて
二つは、妙に中性的な雰囲気ですね。

製作年代は左から右になります。

ドナテッロのダヴィデ像は、中世の美術暗黒時
代から、久しぶりに復活したリアリティある全
身裸像と言われています。

ルネサンス期は、ギリシア・ローマ時代の自然
観察に優れた人体描写を再び取り戻すために、
多くの芸術家が古代の彫像を参考に切磋琢磨し
ていました。

ちなみにドナテッロは、ヴェロッキオの師匠で
す。そして、ヴェロッキオの弟子に、なんと、
レオナルド・ダ・ヴィンチが居ます。
このヴェロッキオのダビデ像のモデルは、若き
ダヴィンチ君だと言われていますが、さだかで
はありません。

ダヴィンチも自分の弟子をモデルに中性的な絵
を描いています。
この時代、同性愛とか美少年を愛好する人が意
外と多かったみたいです。
古代ギリシアでは、かのソクラテスもそうであ
る様に少年愛は崇高なものとされていました。
プラトニックラブの語源はそこらしいですね。
ルネサンスの懐古主義は、そういうコトも復活
したのかもしれません。

この時代、美少年には、色々価値があった。

ただし、宗教的な建前上、こうした嗜好は公に
は出来ないものでした。

 

なぜダビデは、美少年に表現されるのか

3種類のダビデ像に共通するのは「美少年」

ドナテッロのは、後程詳しく見てみますが、
かなり中性的な雰囲気です。
ヴェロッキオは、師匠に倣っているのかな。
ミケランジェロのは、逞しい感じがします。

さて、どちらにせよ絵画を含めダビデは美少年
に表現されていますが、実はこれ、旧約聖書に
「美少年だ」と書かれているんです。

サムエル記には「・・・彼は、血色のよい、目
の綺麗な、姿の美しい人であった。・・・」
と、書かれています。

そして、なぜ裸なのかというと、旧約聖書サム
エル記17章の38~40節に、サウル(ユダ
ヤの王)は、ダビデに自分の戦衣を着せて武装
させたけ
「・・慣れてないから・・」とダビ
デはそれ
らを脱ぎすて・・石と投石の布だけで
ゴリアテ
に向かっていった、とあります。
聖書の内容はくどいので、かなり省略しました
けど勇敢な美少年なんだと解釈できます。

また、見た目が華奢な美しい全裸の美少年が凶
で巨大なゴリアテを倒す!というシチュエー
ションは「神のご加護」を演出しています。

 

宗教と美少年の関係

この当時、裸を扱うには「宗教的な題材」が必
要でした。宗教改革以前のヨーロッパは、キリ
スト教カトリック全盛期です。

カトリックの司祭は、生涯独身の禁欲主義。
女は、男を惑わすものとされていました。
そこで、女性的な役割をする少年が修道院には
欠かせない存在でした(聖歌隊など)
声変わりをさせないために去勢していた時期も
あったといわれています。
表向きは禁欲なのですが、実態はご想像の通り
で御座います(黙認だったといいます)

こうした事は、キリスト教だけでなく仏教や他
の宗教にも存在していたようです。
嘘かまことか、日本に「男色」を持ち込んだの
は、唐に留学していた空海、後の弘法大師とい
う話もあります。

勘のいい方ならピンときたはずです。
これ以上は、詳しく書きませんけど、美少年を
有難がる風潮がこの時代(今もあるか)は、密
かにあったようです。

宗教的題材なら美少年の裸体はOKでーす。

「萌え萌えの美少年像を作ってたもれ」
と言ったかどうか、聖職者達のご期待に添える
様に制作されたのかも、しれませんよ。

 

ちょっとセクシーなダビデ像

ドナテッロ.ダヴィデ像

ドナテッロ作「ダヴィデ像」バルジェッロ国立美術館所蔵

この彫像は、なぜか「ダヴィデ」なんですね。
ダビデと区別するためなのかな?
どっちの表記が正しいのかな。

今回の主役です。

それにしても、股間を見なければ「女?」と思
えるプロポーションじゃないですか。

お尻から太ももの柔らかな感じ。脚線美。そし
て小さく儚い胸の膨らみ。腕や脚に筋肉質な感
じは皆無、腹筋も割れていません。
横から見た姿は発達途中の少女みたいな感じ。
微笑をたたえる表情もどこか女性的です。

美少年というより、美少女戦士みたいです。

これ、絶対ドナテッロの趣味なんやないの?
それか、この像を庭に置いたメディチ家の趣味
なのではと思ってしまいますよね。

ミケランジェロの作品とは正反対です。
中性的なダビデでは、凶悪で、でかいゴリアテ
を倒せるようには、とても見えません。

でも、ゲームのキャラとかで露出が多い女の子
がモンスターと闘ったりしますよね。
ん?当時にも、そういうのアリだったのかな。

これゆえ、創作的な作品と思うのが普通です。

 

中性的な作品にモデルは存在したのか

二次元では、中性的な作品は割と簡単に描けま
す。しかし、3Dの彫刻では、想像だけで制作
するのは難しいです。

ドナテッロの作品を見て思ったのが、多少味付
けがあるとしても、すごく写実的なんです。
細部の作りも、全体のまとまりもリアル。

モデルの息吹を感じさせる存在感がある。

いよいよ本題に入っていきます。

僕は、一度だけ造形美術のモデルをしたことが
あります。粘土で人を作るやつですね。
数日に渡り時間をかけて作られた自分の立体像
を見ると「自分の身体ってこんな感じに見える
んだ」と、勉強になりました。
鏡や絵画の平面では分かりにくい凹凸が立体だ
と手に取るようにわかります。
デッサンや写真とは違う生々しさがあります。
自分の分身みたいで気持ち悪くもあります。

話しを戻して、僕がこの彫像を知ったのはイタ
リア旅行に行った知人が撮影した写真を見た時
でした。多くの彫刻の中で、妙に気になる作品
でした。
でも、それっきりスッカリ忘れていたのですが
美術モデルを始めて半年くらいの頃、ある描き
手さんが思い出させてくれました。

僕にスマホの画像を見せながら笑顔で、
「これ、あなたに似ていると思わない?」

僕がですか?初めは理解できませんでした。

確かに顔も身体も中性的ですけど、自分自身で
は、なかなか気が付かないものです。
その時思い出したのが、造形美術でモデルをし
た時の、あの粘土の僕です。
確かに、身体の特徴的な部分は似てる・・・

そして、ドナテッロのダビデのポーズを参考に
して、僕をモデルに絵を描きたいと言われたの
が、今回の企画の発端でした。

 

ダビデのモデルになってみました

中性的ダビデ

中性的なダビデ像をモチーフにした習作です。

今日の1枚。ドナテッロ「ダヴィデ」を参考に
描いた習作「だヴぃで」

素人女性画家数人が、ドナテッロのダヴィデ像
を元に、実在の中性的なモデルにポーズをとら
せて描いた共同制作の油彩画です。

モデルは、僕です。

殺風景な荒野の中に少年の白い裸体が印象的な
作品。女性的で華奢な身体に不釣り合いな大き
な剣。そして素足の左足の下には、不気味な生
首がゴロリ。
彫刻との違いは、脛当てが無い全裸。それによ
りいっそう華奢な感じに。そして静寂の中で強
敵を倒し勝ち誇った生命力を宿しています。

そして、黒いブロンズ像と違い、鮮やかに色彩
が入ることで別の世界観が広がっています。

こんなTV番組ありましたね。ちょっとマネし
てみました。

写実的に描かれているので、股間にはぼかしが
入っています。

この絵は、個人的所蔵品。出典や公開をしてい
ないので本邦初公開です。所有者には、快諾を
得ております。

 

ダビデのモデルをして分かったこと

いや~このモデルは大変でしたよ。
ゴリアテの頭を踏みつけた感じに、斜めの箱を
作って左足を乗せ、右足にほとんどの体重をか
けます。そして剣の代わりに棒を持つのですが
手を添える程度です。
バランスを保つのがけっこう大変!
それでなくても油絵の場合、時間がかるし数日
に渡り同じポーズですからね。

自分でも見える位置にダヴィデの画像をプリン
トアウトしたものをイーゼルに張って、ポーズ
を注意深くトレースしました。
ダヴィデに成り切るつもり感情移入です。
我ながら、まあまあ似ていると思います。

この種の制作では、一対一が多いのですが今回
は、検証的な意味合いもあってホームアトリエ
で作画したため、複数の協力者が時折デッサン
をしながら僕を眺めていました。
その時の観察者の談話からまとめてみますと、

 ダヴィデ像はモデルを見て制作している。

 中性的なモデルは少ないが実在したはず。

● 実際に見なければ細部まで表現できない。

● 中性的な身体は見る角度で女性的になる。

 微笑は、少年モデルの自然な照れ笑いか。

僕を何度も描いている人でも、今回の制作意図
から改めて僕の中性的な容姿を再認識。

そして、ダヴィデ像について、僕の存在を踏ま
えて実際にこうした
モデルが居たとしてもおか
しくないという見解
を得られました。

以前はコンプレックスだった尖って少し膨らみ
あるの胸やウエストのくびれ、そして腕や脚の
ラインなど、女性的な身体が、こうして類似し
た彫刻との出会いと僕をモデルにした絵画で、
「一定の価値」があることに気づきました。

中性的な男性モデルを描くと、固定概念が通用
しないので「ちゃんと見ないと描けない」と言
います。
もちろんデッサンでは、みなさんよく観察して
いるのですが、短時間なので時には経験則で描
く事もあります。
僕を描く場合、それが通用しない中性的な身体
という事で、普段以上に視線を注がれてしまい
ます。

中性的モデルは、一般的体型とは別物だった

 

ダビデの微笑は、モデルの自然な照れ笑い?

慣れたアトリエの片隅(別室)で、今までに無
い試みでモデルをしていると、時折、顔なじみ
の常連さん見学に来ます。
一応作者やオーナーに許可をもらってのことで
すが、デッサン以外でヌード状態を見つめられ
るのは初めてのことです。
数人、腕を組んで邪魔にならない様に小声で話
したり指さしたり。製作者と馴染みの人は、近
づき絵を見て話し込むことも。

全裸の自分を囲んで談議されるというのは、と
ても不思議な気分です。

art-school-of-athens

ダヴィデは、古代のリアルな裸体像が久しぶり
に復活し
た第一号だといいます。

恐らく、制作していた場所には、弟子達が大勢
近くにいたはずです。

彫像制作のために、美形で中性的な少年を探し
出してて来て、モデルをさせたと思います。
そう
いうのに慣れていない少年は、とても恥ず
かしかったの
かもしれません。

美術モデルとして人前で脱ぐのは多少慣れてい
る僕でも、作画以外で観察されることは滅多に
ないので、思わず作りの無い自然な照れ笑いの
微笑が出たかもしれません。
それが偶然「ダビデの謎めいた微笑」に重な
ったのではないでしょうか。

 

まとめ

近頃、中性的でもいいか。と、自分の立ち位置
が落ち着いてきた気がします。

ダビデ像について書かれた記事は目にすること
がありますが、著者自身がそのモデルとなって
語るのは、なかなか無いと思います。

自分で実際に試してみての考えですが、
ドナテッロの作った中性的なダヴィデ像には、
モデルが、
実在していたと思います。

さらに自分自身を3Dスキャンしたら面白いか
もしれませんね。似た物が出来そうです。

もし僕が、ルネサンス期や古代ギリシアやロー
マに生まれていたら、色んな意味で、今より、
もっと価値があったのかもしれません。
でも・・・寵愛されるのは微妙ですね。

 

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