美術モデルの心境。逆の視点で描き手を観察してみた。

モデルと肖像

美術モデルは、自分の在りのままの姿を観察さ
れるのがお仕事です。

ただボ~ッっとポーズをとっている様にみえま
すけど、何を考えているか気になりますよね。

今回は、美術モデルの目線から見た描き手の風
景と、ポーズをとってる時の心境などを淡々と
エッセイ風に書き綴ってみます。

 

美術モデルをやるということ

美術モデルというものは、一糸まとわぬ姿にな
るので、一切の誤魔化しがきかない。
パッと脱いじゃうだけで簡単じゃないかと思う
が、これが案外難しい。

良くも悪くも全てがお披露目されるので、日ご
ろのボディーケアには、並々ならぬ注意を払っ
ておかないといけない。
颯爽とポーズをとっていても、虫刺されの跡が
あったりすると興ざめ。長袖シャツで迂闊にも
手だけ日焼けしたなど言語道断。
日焼け、虫刺され、アザや皮膚の疾患など、肌
に関しての注意は怠れない。

体型の維持もさることながら、全身隈なく肌の
調子を整えておくのは、中々大変な作業だ。

美術モデルは、最良のコンディションを描き手
に提供するために、見えないところで人知れず
ボディーメンテに勤しんでいる訳だが、これも
大事な仕事の一環と思う。

見た目だけではなく、健康管理も重要な日課。
想像以上に体力を使うので日ごろの身体作りや
バランス感覚も養っておかなければ、長時間の
ポーズを全うできない。

そして、もっと重要なのが表現力。着飾るアイ
テムが無いので、ネイキッドな素材で自分を表
現しないといけない。そのためには、日頃から
他の美術作品などを見ながら、ポーズの研究が
欠かせない。

それもこれも、すべては描き手のため。

美術モデルは、ただ裸になればいいというほど
簡単なものではなく、自己管理と研究心が無け
れば、
続けられない商売です。

 

モデル台の上から見た風景

モデル台とイーゼル

モデルが部屋に入る瞬間というのは、たいてい
の場合、静寂が訪れる。そして(どんなモデル
かな)と、視線が注がれる。本日の「教材」を
値踏みする感じだ。

その日の内容によって、大まかなポーズのリク
エストはあるけど、細かなところは、モデル任
せというのが多いので、事前に主催者さんと打
合せを済ませると、後はモデル台にあがってポ
ーズをとるだけ。

僕の場合、「今日のモデルを務めさせて頂きま
す。宜しくお願いします」と名乗らずに笑顔で
軽く挨拶を済ませると、時間を見計らってガウ
ンを脱ぎモデル台に上がる。
そして「それでは、始めます」と、平然とポー
ズをとる。

一斉に僕の全身に視線が降り注ぐ。

美術モデルが脱ぐのは当然。そして描き手が、
それを観察するのも当たり前。デッサン会場
では、それが日常だ。

でも、大勢の視線が自分に集中する中で、在り
のままの姿になるこの瞬間は、慣れることがな
い。この時の感覚は、何とも言い難い。
別な世界に足を踏み入れたような気分。

そんなモデルの心境などお構いなく、ポーズを
とり始めると、容赦なく一斉に視線が降り注い
でくる。全身隈なく、時には360度、上から
下まで、思い思いに突き刺さる視線の雨。
視点を固定してジ~ッと、それに耐える。

モデル台を囲む様にイーゼルが並び、描き手さ
んの顔が、忙しなく僕と手元を行き来する。
時には、スケッチブック片手に至近距離という
事もある。

焦点を一点に集中しているので、周囲はかなり
ボンヤリしているけど、視界に入る範囲では、
僕の姿を忠実に再現しようと、真剣に描いてい
る様子が、嫌でも手に取るように解る。

静寂の中で、鉛筆の擦れる音だけが支配する空
間。ただひたすら動かない事に専念する。

それでも、時折ゆらゆらしそうになったり、呼
吸の乱れを感じ、気づかれない程度に重心を調
整する。ポーズによっては、手足が堪らないほ
ど傷むが、耐えるしかない。

そうして集中力が、ほんの少しでも途切れると
目の前の景色が現実的に感じる。そうすると、
ちょっと恥ずかしい気持ちが芽生える。

そんな時は、視線を固定することに意識を集中
する様にする。ボワ~ッと、描き手さんの姿が
ぼんやりしていく。

それでも、至近距離では、そうもいかず、描き
手の視線が超リアルに感じられる。
日常でもジッと見られたら緊張するけど、全裸
の状態と言うのはけっこうキツイ。

しかし、ポーズに集中できている時は、意外と
何も感じないのが不思議だ。

集中していると、肌感覚は裸でも、それについ
て思ったより気にならない。傍から見るより、
本人は何とも思ってない。この時は・・・

動かない!というのに集中してしまうと、周囲
の情景は、ただ漠然とした非現実的な感じ、異
空間に見えます。

 

美術モデルの心境

始めの頃は、とにかく長く動きを止めている事
だけで精一杯。身体が痛い。グラグラする。
コツを掴み身体が出来上がるまでは、辛い修行
みたいな感覚。

得意なポーズをいくつか覚え、自信が付き、身
体も美術モデルに慣れてくる様になると、多少
気持ちに余裕が出てくる。

始めて描く側で、ヌードモデルを目の前にした
時は、堂々とポーズをとる美術モデルに対して
逆に気恥ずかしい気持ちになった。

描き始めれば、写し取るのに夢中で、そんな事
は、上の空。描いても描いても、実体を上手く
表現できずに焦ったものだ。
人の身体は、直線が一つもなく、複雑な曲面の
集合体。しかも当然立体だから奥が深い。

悠然と「ほら描きなさい」と、ポーズをとるモ
デルは、すごいなと感じたものだ。

自分が描かれる立場になってみると、何を感じ
るのか。それが、意外と何も感じない。
ただ、自分の在りのままの肉体を提供している
だけな感じ。

よい作品になるように、色々とポーズのとりか
たを工夫したり、描きやすいようにグラグラし
ない様に心がけたり、技術的な意識は、働くけ
ど、基本的にポーズ中は「無」な心境。

究極のマインドフルネスだ。

それだけ、人が動きを止めるというのは大変な
事なのだろう。中には、考え事をしているモデ
ルも居るかもしれないけど、僕の場合は、ほぼ
無心で過ごしている。

ただ、座ったポーズや寝ポーズの時は、身体の
負担が少ないだけに、雑念が入ってくる。
今度は、眠気との勝負。ジ~ッと動かずにいる
と容赦なく睡魔が襲ってくるのだ
そんな時は、ひたすら数を数えている。

傍から見るほど、美術モデルは裸であることを
意識したり、描き手の視線に緊張したりという
ことは少なく、ただひたすら動かずにボ~ッと
している。

 

美術モデルから見た描き手

絵を描く

ポーズ中は、ボ~ッとしている。というより、
考え事をする余裕がないので、意外と周囲の状
況を覚えていない。

動きを意識的に止めると思考も止まるらしい。
考え事が出来る余裕があるモデルは、すごなあ
と感じてしまう。

それでも、常連の人が多い会場なんかだと、和
やかな空気の中で描かれるので、こちらもつい
緊張感がゆるんでしまう。
動かないというのは変わらないけど、特に油絵
の時は、時間に余裕もあるので、時折話しかけ
てくる人も居るくらいだ。

僕個人としては、モデル中は、集中している方
が有難い。

集中が途切れるといえば、合間に挟む休息時間
だが、ガウンを羽織ると、なぜか妙に今まで裸
だったんだと実感してしまう。
今までスッポンポンだったのに、今更隠す必要
あるのかというと、これは別物。やはり、現実
世界では、布きれ1枚でも必要なのだ。

休憩時間に、近くで制作中の作品をストレッチ
をしながら眺ていると、自分の分身みたいに、
上手いなあと思うのもあれば、ちょっと残念な
感じの作品もある。

その上でポーズ中に、さり気なく観察してみる
と、なんとなくその違いが見えてくる。

上手い描き手は、こちらを見る仕草に自信があ
るような気がする。長くじっくりと観察すると
残像を描き、またじっくり見てという感じ。
まずは、観察ありきなのだろう。

逆に、イマイチの作品では、僕への視線と手元
への視線移動が頻繁で、修正している様子が、
なんとなく伝わってくる。
ちゃんと見ないから、部分と部分のつながりが
微妙になってしまう。

それに、チマチマ、申し訳なさそうに見つめら
れると、僕自身もつい現実に引き戻され居たた
まれない気持ちになってしまう。
視線と言うのは想像以上に感じ取れるものだ。
割り切って堂々と観察されたほうがモデル冥利
に尽きるというものだ。

作風というのは十人十色だけど、せっかく一肌
脱いでいるから、出来れば綺麗に描いて欲しい
なと思うのだが、そこは、描き手次第。

ただ、上手い人は、観察力に優れている。
これは、間違いないと思う。
デッサンは、人間という天然の作品を模倣する
作業といえるかもしれません。

美術モデルは、観察されることが仕事なんです
から、遠慮せずによく見て、人間の造形美を学
んだり表現して欲しいものです。

 

美術モデルの優越感?

描き手とモデルは、どっちが優位か?

始めて人前に裸でモデルをした時は、絶対に描
き手が上の様な気がしていた。

自分以外は日常の中で、僕だけ纏うものもない
状態。その上、遠慮なく最もプライベートな姿
を観察される。

普通に考えると在りえないシチュエーション。
たしかに、通常、人前で脱ぐのは、銭湯や温泉
くらい。衆人環視の中で裸になることは、まず
在り得ない。

ところが、この美術モデルというのは、人体を
学ぶ上で必要な存在。デッサンなどで、人体を
描くなら、誰かが脱がなければ成立しない。

じゃあ貴方やって。と、言われても誰もが簡単
に出来る物では無い。それゆえに、脱いでくれ
る美術モデルは、有難い存在といえる。

誰もがやりたがらない仕事。それは、献身的な
気持ちがなければ出来ないかもしれない。

「モデルは脱ぐのが当然だ」と、ぞんざいに扱
う人も居なくはないけど、多くの場合、真面目
に、そして大切に扱ってくれる。

人間には、羞恥心がある。それは、美術モデル
も同じ。それを心内に秘めて美術へ貢献するの
が美術モデルの仕事。

そして、健康管理や肌の手入れをしているとは
いえ、在りのままの姿を見せて褒められたり感
謝されるというのは滅多にないことだ。
剥きだしの自分、身一つで貢献するのですから
嘘偽りのない姿で感謝されるのは嬉しいもの。

それに、在りのままの自分に注目が集まるとい
うのも、なかなか無いことだ。

美術モデルは、在りのままの自分を認めてもら
えるので、もしかすると最高の自己承認欲求を
満たせる仕事なのかもしれない。

 

まとめ

今回は、いつもの文章と違い、淡々と美術モデ
ル目線でツラツラと書いてみました。

モデル台の上で、一糸まとわぬ姿でポーズをと
る美術モデルの気持ちは、恐らくやった人にし
か解らないかもしれません。

美術モデルは、傍から見るほど周囲の状況を気
にしていません。それだけ、集中力が必要とい
うのが実情です。

良いモチーフになるように日々研鑽しているの
で、遠慮なく観察して良い作品作りの手助けに
なれば幸いです。

 

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