ヌードにも個性がある。脱げば一緒じゃないよ。

美術ヌードモデルをしている僕ですが、人前で
裸になると別人に変身しちゃいます。
そう、裸になると、普段の僕とは違う個性が現
れてきます。

中性的で珍しい体型。最近じゃナチュラルメイ
クまでしてポーズをとっているので中性的とい
うより女性みたいな感じです。

ヌードモデルは、裸で美を表現します。裸にな
ってしまえば皆一緒じゃん、て思うかも知れま
せんが裸にも個性は、あります。
今回は、ポーズ中の心境を含めてヌードの個性
について語りたいと思います。

 

脱げば一緒?裸は裸?

動物は、服を着ていないので種類別で個体は、
みな同じ感じです。しかし毛並みの柄や微妙な
個体差はあります。そっくりに見える動物でも
微妙な差はあります。

人間の場合、毛並みの柄とかはないので、脱げ
ば皆似た感じになります。

大きなデッサン会場では、複数のモデルが出演
することがあります。
どの裸でもいいやと思えるかもしれませんが、
裸であるというのが共通するだけで、それぞれ
個性があります。

裸は、裸でひとくくりにされそうですが、よく
見れば、手足の長さ、体型、乳首や性器の形状
や大きさ、色の違いなど、他人とは違う差がた
くさんあります。
毛深かったり、薄かったり。色白だっり黒かっ
たり肌の色の差もあります。
(モデルさんで毛深い人は少ないけど)

日本人と、ひとくくりにしてみても、みんな微
妙な差を持っています。

もし大勢で裸で記念写真でも撮ったら、その違
いが一目瞭然です。

ヌードデッサンで、多くの裸体を目にする描き
手さんたちも、脱ぐ人、脱ぐ人で個体差がある
のを知っています。

何十人、何百人とヌードを見てきても、同じ人
は、皆無です。

ヌードデッサンは、単純に人の裸を描くだけか
と思いがちですが、そこには人それぞれの個性
が表れます。

また、同じ人の裸でも、ポーズひとつで様々な
表情を見せてくれます。

例え同じ人物を描いても、ポーズが変われば、
別な裸体が出現します。
前向き、後ろ、横、斜め。
見る角度でも違ってきます。

脱げば一緒じゃないんですね。

 

中性的なヌードモデルの僕

中性的ヌード

背は高めだけど、全体に柔らかいボディーライ
ン。くびれたウエスト。腰からの脚線美。
儚げに円錐状に膨らんだ尖った胸。その先端に
は、コーラルピンクに薄い茶色を足した様な、
男性と女性の中間サイズの綺麗な乳首と乳輪。
そして、無駄毛が下腹部を含めて一切生えてい
ない白いツルツルの肌・・・

ここまで書けば「ああ、そういう女性か」と思
うところですが、続いて、その股間には、しっ
かりと肌色の小さな5センチ程の突起物。
それは、先端まで全て色白の包皮で覆われ先端
のクシュクシュにとがった感じが幼さを醸し出
している。

と、書けば「えっ、男なの!?」と不思議な感
覚になります。

そう。それが僕の個性。中性的身体です。

上の写真は、僕のポーズの一例です。
ギリギリで隠していますが、女性ではありませ
ん。ちゃんと、小さいけど男性器が付いていま
す。

骨格は、男性なので肩幅や腰の幅は男性ですが
皮下脂肪のつき方は女性そのもの。
その上、小さいけど胸が膨らんでいるし、乳首
もそれなりに主張している。
股間を隠してポーズをとれば女性と勘違いする
くらいです。
そう、背が高い微乳の女性だと思えばそう見え
なくもない。

ヌードモデルは、男性も女性も居ます。
女性のほうが圧倒的に多く、男性の場合、割と
筋肉質で引き締まった人が多いです。
普通体型の男性も居るけど、どちらかというと
男性的な肉体美に自信がある人がモデルをして
いる感じです。

それに、男性の場合アレにも相応の自信がなけ
れば、容易には脱げません。僕が見てきた男性
モデルさんは、アレも立派で剥けている人ばか
りでした。

中性的なモデルは、僕の知るところでは自分だ
け。珍しい存在です。

最近は、ナチュラルメイクでモデルをしている
ので、余計に女性的です。

ですから、僕が登場するとその違和感はハンパ
無いものになります。

顔を含めて極めて女性的な雰囲気の中に、一か
所だけ男性を示す突起物。しかも、ギリシャ彫
刻の様に可愛らしく小さいモノが付いている。

「えっ、男の子、え~?」
初めて見る人は、みんなそんな反応です。

中性的な身体は「裸」の中でも特に異質な存在
です。かなり個性的と言えます。
男性として表現するのか女性として表現するの
か、その両方を持ち合わせています。
男女両方を一度に描けると思えば一挙両得。
いや、それとも違う様です。

大抵は、描いていて、混乱してきます。

ギリシャ神話の両性具有の神「ヘルマプロディ
ートス」を生で描いていると思えばそんな感じ
かもしれません。

とにかく、中性的な容姿は、注目度が高い!

故に、必要以上に熱い視線が注がれるので描か
れる僕も緊張しちゃいます。

 

ヌードにも人格が出てくる

ヌードモデルは、一糸まとわぬ姿になるので服
という個性を表すアイテムがありません。

服は、その人の性格や個性を表します。
僕みたいに、男なのに女装していると、どうい
う個性に見えるのでしょうか(笑)
普段は、ほぼボーイッシュな女装です。

ひとたび服を脱いでしまうと、人は、なぜか裸
という特別な存在になってしまいます。

裸が、なぜ特別なのでしょうか。

それは、普段、服で隠されているからです。
特に性器は、ヒミツ中の秘密。他人の性器は、
デッサンでもしない限り、細部までじっくり拝
めるものではありません。

ヌードデッサンは、特殊な世界です。
他人の裸をこれでもか!というほど見ることが
できる特別な時間を味わえます。

ああ、この人は男なのに胸が膨らんでいて女性
的なボディーラインなんだ。ふ~ん、アソコが
包茎で小っちゃくて可愛いんだ。それにアンダ
ーヘアまで処理してるんだ・・・

そんな感じで僕の裸を見つめられます。

そして、裸なのに、その人の性格や人格が露わ
になってきます。

僕の場合、明るく真面目で誠実そう。と思われ
ているようです。

何がそう思わせるのかは解らないのですが、僕
も何十人かデッサンしたことがあるので言える
のですが、裸の人物のほうが在りのままに、そ
の人の「人となり」が見える気がします。

裸は、人格が滲み出てくる。そんな感じです。
本当に自分が見えてくる。

裸のほうが、その人の持つオーラの様なものが
リアルに見えてくるみたいです。

筋肉質な男性の場合「ドヤ」と自信満々な感じ
とか、女性でもナイスバディの人は、優越感み
たいな自信が見て取れます。

逆に、不慣れな初心者や自信の無い人の場合、
不安感や自信の無さがはっきり見えます。
まあ、それも新鮮で悪くはないんですけどね。

それから、体調の良しあしや、機嫌がいいか悪
いかなども裸からは、伝わってきます。

ポーズの取り方やポーズの動かない技術からも
ヌードモデルへの取り組み方がよく伝わってき
ます。
しなやかなポーズ。力強いポーズ。自然なポー
ズ・・・人それぞれ個性があります。

と、いう様に、ただ裸になっているだけに見え
るヌードモデルですが、個性や性格、人格まで
裸を通して見えてくるものです。

もう、何も隠しようが無い。そんな感じです。

なので、僕も、脱いだ瞬間から、全てが露わに
なると思って裸の自分をしっかりと演出してモ
デル台に上がっています。

 

人前で脱ぐ気持ち

実は、僕は普段から裸族生活をしています。
ですからモデルをする日なんか一日の大半を裸
で過ごしていることになります。

じゃあ、裸なんて平気なんじゃね。

と、思うと思いますよね。
しかし、人前で脱ぐのは、全く別物です。

でも、裸になるのが好きなんじゃないの?

そう言われることもありますが、僕が裸族生活
をしているのは、解放感や健康、ダイエットの
ためで人前で脱ぎたい訳じゃやないんです。
まあ、裸で居るほうが落ち着くという側面もあ
るので否定もできないのですが、見せたくて脱
いでいる訳ではありません。

ただ、最近では、好評も得られるので、脱ぐ達
成感みたいのは感じています。

それでも、やはり人前で裸になる。しかも長時
間「見せる」というのは別次元の話です。

もう、ヌードモデルをして約4年。
モデルを務めた回数も千回にせまろうとしてい
ます。その様に、大勢の人の前で裸になってき
た僕ですが今だに脱ぐ瞬間は緊張しています。

モデルは、普段の裸族生活の延長かといえば、
そうじゃないんですね。

元々は、モデルをしようと思って脱いだわけじ
ゃなくて勧めれれて脱いだのですが、当初は、
女性的な中性的容姿や小さな色白の包茎が気に
なってなかなか決断できませんでした。

男らしくない容姿でモデルが務まるのか?

正直人前で脱ぐなんて絶対ムリ。
そう思っていました。

今でも忘れられませんが、初めて20人ほどの
人前でガウンを脱いだ瞬間の感覚は、鮮明に覚
えています。

裸になって、モデル台に上がると、全身の隅々
までに空気を感じ(ああ、今裸なんだ)とドキ
ドキしました。
それと同時に、自分の在りのままの姿が人目に
晒され気恥ずかしい気分になりました。

言い方が悪ければ、裸の晒し者です。
ホント初めての時は、情けない気分でした。

壁の一点をジッと見つめ、慣れない仕草でポー
ズをとる。動かないという事を必死に意識して
いると、恥ずかしさはいつのまにか薄れ、不思
議な感覚に入っていきます。

全身くまなく隅々まで見つめられているのが、
よく解るのですが、恥ずかしくない。
むしろ、昂揚感と解放感みたいな感じに包まれ
ていきます。

男の場合、股間さえ隠せば恥ずかしくないと思
いますが、僕の場合全身の女性らしさ自体が恥
ずかしいので、女性と同じく胸を見られている
のも恥ずかしい。
しかも、モデルは、股間さえ隠せず全てオープ
ンです。内なる羞恥心のは頂点に達します。

途中の休憩でガウン1枚を羽織るとホッとする
と同時に、今の今まで、裸だったんだと強く実
感してしまいます。すると、恥ずかしさがこみ
あげてきます。

それは、脱いでいる時より、恥ずかしい感じ。
脱ぐときより、着る時のほうが現実に引き戻さ
れるので、そう感じるのでしょう。

そんなこんなで、何百人、いや何千人(リピー
ターを含む)という人に自分のヌードを見せて
きたことか。
僕の場合、限られた場所だけで脱いでいるので
リピーターがとても多い。

僕の裸を隅々まで熟知している人が大勢いる。
そう思うとドキドキします。

飽きませんかと聞いたことがあるけど、飽きな
いそうです。

ポーズの変化だけでなく、どんどん女性的に変
化していく僕に興味津々な様です。

今では、中性的を売りにするために、プラエリ
アなどの女性ホルモン類似物質や豆乳を積極的
に接種してAカップ程に胸を膨らませ、乳首を
大きくさせて、より女性的な雰囲気に身体を作
り変えてまで「中性的を魅せる」ことに邁進し
ています。

慣れというか、人前で脱ぐのも優越感を感じる
様になり、今まで卑下していた小さな性器も、
綺麗な可愛い性器として、ある意味自信を持っ
て見せられる様になってきました。
可愛いオチ○チンも立派な商売道具です(笑)

しかし、恥ずかしくないかといえば、そんなこ
とはなく、堂々と脱ぎつつも、常に羞恥心は胸
の奥に仕舞っています。
人が人である限り、人前で裸になるのが恥ずか
しく無いといえる心境になるのは、無理かもし
れません。

恥ずかしくないかといえばウソになります。

でも、珍しい中性的なヌードを求める描き手に
応えるために頑張って脱いでいます。

 

まとめ

人前で裸になる。

そう聞くと、なんだか特別なことに感じますが
芸術の世界では、日常的なことです。

日常とはいえ、そこには、誰か裸になってくれ
る人が必要になってきます。
そこでヌードモデルの登場です。

裸という在りのままの姿には、その人の人柄や
性格が滲み出てきます。そして、一見同じ裸に
見えて人それぞれ個性があります。

僕の場合は、中性的という個性があります。
人前で脱ぐのは、決して楽じゃありませんし恥
ずかしいものですが、必要とされて脱ぐのは、
自己承認欲求を満たされる感じで好きです。

ヌードモデルは、常にどう見られているかに関
心を持っています。そしてポーズのとりかたや
裸の見せ方に最新の注意を払っています。

ヌードデッサンでヌードモデルを目の当たりに
した方は、モデルさんのそうした見えない努力
にも注意を払って鑑賞してみてください。

裸が一層輝いて見えることでしょう。

 

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