美術ヌードモデルは、究極のマインドフルネス

美術ヌードモデルで男の娘の春海です。

昨今、大企業などでも取り入れられているマイ
ンドフルネスや座禅。

心の中をクリアーにして集中力をアップさせた
り、新しい感覚を取り入れるために行われてい
る様です。

今回は、美術モデルのメンタルを深く掘り下げ
て美と心の健康について書いてみたいと思いま
す。

 

美術ヌードモデルは、無我の境地に至る

中性的なヌードモデル

股間のボカシをきつくかけてしまうと、一見女
性に見えてしまいますが、僕が、メークをして
男の娘バージョンで描いてもらった作品です。

このパターンでヌードモデルをすると、初めて
描く人は、みんな「えっ?」という顔をして驚
きます。

股間の部分を指で隠して見れば、小さいながら
も有るAカップほどの胸の膨らみ、そして男性
としては大きめで綺麗な乳首や乳輪の存在感。
ウエストのくびれと脚のライン。思わず女性か
と錯覚するスタイルです。

そこに可愛い小さな色白で包茎の男性器が、ピ
ョコンと男の子を主張して不思議なコラボレー
ションを醸し出します。

最近の投稿では、男の子バージョンの顔での登
場が多いのですが、女装した僕は、普段の日常
の顔になっているので、ちょっと緊張します。

だって、ブログでは、部分的にぼかしているけ
どヌードは、披露しているし、性生活まで紹介
しているので、メークしている顔が、現在の通
常の顔ですから顔バレしたら恥ずかしいです。

それにしても上の作品見れば見る程、女性的。

女性らしい、しなやかなポーズは、見る者に女
性的な柔らかな曲線美を感じさせますが、この
ポーズを取るのは案外大変です。
やや虚脱したリラックスした感じに見えますが
ポーズの維持には、強い集中力が必要です。

その上、アクリル画で色彩まで忠実に仕上げる
ために3日ほど同じポーズを取りました。
もちろん休憩は、入れますけど、同じポーズを
取り続けるのは苦労しました。

描いたのは、親しい女友達。デッサンを含める
と、もう何百回と裸を観察されてきたので彼女
の前でヌードになるのは慣れっこです。
慣れって怖いですよね。

彼女の家に着くと、おしゃべりをしながらその
場で服を全部脱いで裸になって、何事も無かっ
たかのようにポーズを取る。
2~30分ポーズを取ると、裸のままで休憩。
それを繰り返していきます。

着色して最後まで絵を仕上げる作業は、モデル
も描き手も大変です。
静かな空間で、ゆっくりと時間だけが過ぎてい
く感じが異次元な雰囲気。
しかし、ポーズも描くのも真剣勝負です。

観察するほうも夢中ですが、ポーズを取る僕も
姿勢の維持に全神経を集中します。

呼吸も出来るだけゆっくり静かにする様に意識
して、身体の「ゆらぎ」を最小限にするように
務めます。そして、腕や脚は、もちろん、手足
の指先、性器の先端まで「動かないこと」を意
識します。

この時、頭の中は、動かない事に集中している
ので、何も考えていません。
慣れているとはいえ、人前で裸になる羞恥心は
完全に消せないのですが、恥ずかしいと思う気
持ちも希薄になります。

ポーズを取り始めた瞬間から、動かないことだ
けに集中していると、次第に自分が、今、全裸
で、ポーズを取っていることは、はっきり認識
しているのですが、頭の中は、キーンとした無
の境地に入っていきます。

在りのままの姿を晒して動かないでいるという
状況は、はっきりしていますが、動かないとい
うことに集中するあまりに、雑念が綺麗さっぱ
りと消えていきます。

これは、大勢の目の前でヌードモデルをする時
も同じです。

沢山の視線を自分の裸の姿に集めている事実。
熱く見られている事実。恥ずかしい姿を晒して
いる事実。性器を見られて恥ずかしい事実。そ
うした今起きている事象は、嫌というほど感じ
るけど、脳内は、気持ちいいほどクリアーにな
ります。

美術ヌードモデルというのは、裸でポーズを取
るだけに見えますが、人間、動かないというの
は、並大抵のことではありません。

そして目を開けているいるので、描き手の視線
は、嫌でも入ってきます。そんな環境で20分
ほどジッとしていると、不思議な感覚に包まれ
てきます。

羞恥心も消えかけた頃、キッチンタイマーの電
子音で我に返ります。
その時、自分は「無」になっていたのに気が付
きます。

そして、ガウンを纏い休憩するのですが、急に
現実に引き戻されて羞恥心が芽生えます。

変な意味じゃなく今まで心地よかった「無」の
感覚が途切れると、静かな閉ざされた会場とは
いえ日常は、いかに雑念が多いのかと改めて感
じずにはいられません。

それだけ無我の境地は、深い意味のある行動な
のだと思いました。

 

マインドフルネスとは

先ほどは、美術ヌードモデルをして無我の境地
に入れたことを書きましたが、大企業さえ注目
して採用しているマインドフルネスについて、
ちょっと簡単に説明したいと思います。

マインドフルネスとは、仏教の座禅や瞑想に近
いと言われますが、微妙に異なります。

瞑想(メディケーション)は、精神の集中をす
る一種のトレーニングです。
お坊さんが、よくやっているやつですね。
薄眼を開けたまま、座禅を組んで、ジッとして
雑念を払う修行です。
釈迦が得たという悟りの境地とは、いかなるも
のかを追い求めます。

こちらは、あくまで「無」になることに全神経
を集中させる修行のようなものです。
最終目標は、たどり着けるかも解らない悟りの
境地です。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズも生涯
座禅を組んでいたそうで、生み出した製品には
仏教の精神が漂っています。

マインドフルネスは、現在起こっている事柄や
行動に対して意識を集中させることで、瞑想と
似ていますが、瞑想の精神の集中よりリラック
スすることに重きを置いています。

「無」になることより、今自分が思っている事
や感じている事を在りのままに意識して、心を
静かにすることに重きを置きます。

このことによって、不安な気持ちが解消したり
心身が健康になることは、科学的にも証明され
ています。

その効果は、いくつか挙げると次の通りです。

○ストレスの緩和

○集中力の向上

○自己肯定感のアップ

○心身の健康回復

○脳の疲れを取る

○創造性を高める

スピード重視のストレスの多い現代社会に暮ら
す私たちには、どれを取っても魅力的な効果に
見えます。

マインドフルネスを実践することで、今まで自
分が置かれていた現状を認識して、それらをよ
り良い方向に高めたり、改善したりすることで
仕事の効率性アップや悩みの解消、新たな創造
を生み出すなどの効果をもたらします。

マインドフルネスの実践方法は、簡単です。

胡坐をかいたり、椅子に座った状態で、薄眼を
開けたままで、まずは呼吸のみに意識を集中さ
せます。手は、軽く膝の上に置きましょう。

呼吸法は、鼻からゆっくりと息を吸い、吐く時
は、吸うときよりも時間をかけて鼻から吐き出
します。

時間は、自分の出来る範囲で10分でも20分
でも構いません。雑念の多い人は、時間を長め
にとってみるのも効果的かもしれません。

呼吸に集中していても雑念は容赦なく入ってき
ますが、在りのままに受け入れてください。
様々な「気づき」を感じることが出来ます。
そうした気づきを静かに流していきます。

心の中が瞑想状態になってきたら再び呼吸のみ
に集中します。だんだん、雑念が少なくなって
いくのを感じる様になります。

このような動作を繰り返すうちに、人は、自己
認知を高めていくと言います。
そうすることで、感情的知性が向上します。
これは、自分や他人の感情を察知して、その背
景を理解して、自分の行動に活用できることを
意味します。

優秀なリーダーには、必須の能力です。

マインドフルネスは、感受性の豊かな人だと1
回で何か気づく人もいますが、自分で時間を決
めて毎日少しずつ継続させるのが重要になりま
す。

お坊さんでも厳しい座禅で「無」の境地になる
のは、難しいことです。
なので、私たち素人が、それを安易に真似して
すぐに効果を得たいと焦る気持ちは、静めて継
続は力なりを信じて習慣化するまで実践してみ
ましょう。

 

安直に効果を求めてはいけない

仏教の座禅では、無我の境地を求めることを目
標にしては居ません。「無」が最終目標ではな
く、悟りとはいかなるものかを探求するために
釈迦と同じ苦行を積む。それが禅の本質です。

先ほど、マインドフルネスと禅の瞑想の違いに
軽く触れましたけど、大きな違いは、マインド
フルネスは、幸福感を得ることが目的となって
いることです。

やることは似ているけど全然違います。

マインドフルネスは、うまく実践できれば、科
学的にも脳に良い影響があることが解っていま
す。しかし、その効果は限定的で短期的なもの
になります。

それは、人間は、欲深い生き物なので、次から
次へとやりたいことが現れ、その分雑念は、減
ることを知らないからです。

ですから、継続することに意味があります。

日々心の中をクリアーに保つことで、雑念の最
適化が行われます。
そうすることで、今何が一番先に手を付けなけ
ればいけない課題かが見えてきて、効率的に目
標を見つけ出すことができます。

目標さえ解ればあとは、実践あるのみ。スピー
ディーに日常の課題や仕事が処理されます。

しかし、マインドフルネスを功利主義的な考え
で使うというのも問題があります。
安易に得られた短期的な幸福感は、長期的な視
点では、一つの通過点に過ぎません。

実際には、もっと奥の深い事象でも、表面的に
幸福感を得てしまうと、真の幸福感を得られに
くい体質になってしまいます。

瞑想という奥深い行為をビジネス的に行うのが
マインドフルネスです。

効果至上主義じゃなく、深く自分を見つめ直す
ことに重きをおいたほうが、結果としてより良
い効果を得られるのではないでしょうか。

 

美術ヌードモデルは、瞑想に近い

ボーイッシュで可愛い顔だな。

男子なのにオッパイが膨らんでいる。

色白で身体のラインが女性みたい。

乳首の色が綺麗で男にしては大きいな。

性器が色白で小さくて包茎。でも可愛い。

魅力的な、しなやかなポーズだなあ。

・・・

僕が、美術ヌードモデルとして全裸でモデル台
に立つと、聞こえはしないけど、描き手の雑念
が肌感覚で浸透してきます。

裸という状態は、とても感度が高くなります。

視線や思念がリアルに伝わってきます。

そういう状況で、僕は、身じろぎひとつせずに
ジッとポーズを取り続けます。

良いモデルになろうと動かずにポーズに集中し
ていると、全裸を見せている自分が何かを超越
した世界に入り込んでいきます。

ガウンを脱いだ瞬間の羞恥心と緊張感が薄れて
無意識の中で芸術に身を捧げているような荘厳
な気持ちになっていきます。

この時の僕の心に分け入ってみると、大勢の熱
い眼差しを全身に浴び視線を意識しつつ「無」
の境地に入っています。

「動かない」という事で、何か余計な事を考え
る余裕が無い。
なぜ僕は、人前で一番恥ずかしい姿を披露して
いるのかなんて考える余地もありません。

ただポーズを維持する事だけに集中してヌード
になっている。そんな自分に幸福感すら薄っす
らと感じます。

無我の境地って、なんだか別世界の心地いい感
じもします。

より良いヌードを魅せる。

それが、美術ヌードモデルの使命です。

モデルは、恥ずかしがっちゃいけない。でも、
羞恥心を消してもいけない。禅問答です。

人の裸は、エロスです。顔は女でも男ですから
エロスの象徴の性器が丸出し。でも、芸術です
からエッチな気分を出してもいけない。
難しいです。

20分ポーズ。10分休憩。これを4~6セッ
トくらいやります。

瞑想世界と現実世界を交互に繰り返す。

まるで、サウナと水風呂の関係みたい。

ポーズは、ヌードモデルの悟りを開くための修
行みたいなものです。

大勢の前で裸になる非現実と羞恥心が湧く現実
のはざまで、美術ヌードモデルのメンタルは、
鍛えられていきます。

そして、心が整います。

裸になって在りのままの自分を晒すというのは
誰でもできることでは、ありません。

始めは、勧められて脱いだのですが、やってみ
ると奥が深い。
ただ脱げばいいってものじゃない。
裸を魅せるというのは、心も芸術的にしないと
出来ないことです。

そうして脱ぎ続けてたどり着いた境地、いえ、
まだたどり着いたとは言えないかもしれません
が、なんとなく薄っすらと見えてきた物。

それは、一切の装飾を剥ぎ取り在りのままの自
分を見てもらうことで、承認欲求がみたされ、
自己肯定感がとても強
くなったことです。

ポーズという瞑想を通して、自分を見つめ、そ
して見つめられて自分が好きになりました。

モデルを務めて「綺麗だね」「可愛いね」と褒
められることを繰り返していると、脱いで良か
ったと心から思います。

人は、注目を浴びたり褒められると誰でも嬉し
いものです。

それが、更なる「美」につながります。

意外かもしれませんが、美術ヌードモデルとい
うのは、美と心の健康を養う究極の瞑想行為な
のかもしれません。

 

まとめ

美術ヌードモデルは、人前で裸になってジッと
ポーズを維持するために動かない。

ポーズを取るモデルは、何を考えているのでし
ょうか。

答えは、何も考えていない。「無」です。
少なくても僕は、そうです。

ただ、良いポーズを取ろうとか、良いヌードを
魅せようとかは、呼吸レベルで意識は、してい
ます。

動かないという事の結果、瞑想状態に自然に移
行します。そのために意図せず自己肯定感が強
くなり心が健康になります。

人前で脱ぐと言う行為は、とても恥ずかしいこ
とですが、それを乗り越えた先には、自分自身
を好きになる幸福感を得られることに気づかさ
れました。

美術モデルは、裸で瞑想をしている。
それにより、自分を見つめ自分を好きになり、
心が常にクリアーでニュートラルな状態を保て
る。それが、人前で脱げるメンタルの秘訣のよ
うな気がします。

 

お問い合わせ・ご感想など

管理人に送信されます。非公開です。