裸の天使。美術ヌードモデルの無邪気さ
美術ヌードモデルで男の娘の春海です。
デッサンなどで全裸になる美術ヌードモデルで
すが、その圧倒的なまでの解放感は、見る者に
ドキッとした感覚を与えます。
描き始めれば、単なる生きた裸のモチーフです
けど、その実態は、ちゃんと同じ人間です。
無邪気に脱いでいる様に見えて、羞恥心もある
し、芸術に身を捧げた献身的な態度も、しっか
りあります。
今回は、そんな美術ヌードモデルの本音と、見
た側からの感想を交えて綴りたいと思います。
人前で脱ぐ気持ちを深く掘り下げてみる
とあるヌードデッサン会。
少しざわついたデッサン会場に、ガウンを纏っ
た美術ヌードモデルが入ってきた瞬間、描き手
たちの視線が一斉にモデルに注がれます。
思わず「うっ」と、後ずさりする感じです。
そして、モデルの値踏みするかのように静寂が
訪れます。
そんな緊張感が漂う中で美術ヌードモデルは、
おもむろにガウンを脱ぎ全裸になります。
その様は、何事もなかったかのように自然に全
裸になっているように見えますが、モデルとは
いえ人前で裸になるのは、慣れていても勇気が
いります。
この全裸になった瞬間が一番緊張します。
美術ヌードモデルとして人前で脱ぐという行為
には、この一瞬だけは、何とも言えない複雑な
気分です。
露わになった全裸に一段と鋭い視線が降り注ぐ
中で、モデルは、モデル台に上がり軽く一礼し
キッチンタイマーをセットして台に置くと、何
事も無いかのようにポーズを取ります。
全身、隅々まで降り注ぐ視線。
ああ、僕の裸が見られていると思う感覚。
なんだか、くすぐったい様な気分です。
普段隠されている裸が、全開放。当然性器も丸
出しなので羞恥心は、マックスです。
でも、ポーズに専念するために、じっと動かな
い事に集中するので、恥ずかしいという気持ち
は、徐々に薄れていきます。
描き手さんが、僕の裸体をじっくりと観察して
いるのに、無感情な感じになります。
いえ、何かを考えている暇が無いというのが、
正直なところ。
大勢の視線を裸の自分の姿に浴びて、ひたすら
ポーズに専念すると、羞恥心が薄らぎ、逆に優
越感に似た不思議な感覚になります。
手足だけでなく指先の一本一本まで神経を使い
不動の姿勢を取り続けるのは、想像以上に難し
いことです。羞恥心を持つ余裕すら無い。
それだけ「動かない」というのは大変です。
セッションの内容によりますけど、そうして2
0分ほどじっとポーズを取り続ける。それから
10分の休息。それを繰り返す。
それを3~4時間。油絵なんかの場合は、お昼
を挟んで丸一日ヌードになる時もあります。
それは、想像以上に体力と忍耐が必要です。
そして、途中の休憩の時に、裸にガウンを纏う
と、ちょっぴり羞恥心が湧いてきます。
この一旦、裸を遮断されるという状況は、今の
今まで全裸を見せていたという実感を深く考え
させます。
むしろ、裸でじっとしている時の方が、無我の
境地に達するので羞恥心は薄れます。
休憩のたびに、一旦隠して、また脱ぐという行
為のほうが恥ずかしさが出てきます。
いっそ裸のままだと、どうかと小さなデッサン
会で、最初から最後まで裸で通したことがある
のですが、それはそれで恥ずかしい。
描き手は、どうせ脱ぐんだからと気楽な気持ち
で裸の僕と接しているけど、やっぱりちょっと
恥ずかしい。いや、かなり恥ずかしいです。
やはり、休憩中は気もそぞろなので、裸のまま
だと羞恥心が増してきます。
ヌードモデルは、どうせ脱ぐんだから裸で平気
だろうと思う人も居るけど、ヌードモデルもや
はり一人の人間です。羞恥心は、あります。
プロとして脱いでいても、やはり恥ずかしい。
短い休憩中にガウンを纏う意味は大きいです。
と、言ってもこれまで多くのヌードモデルを務
めた僕にとっては、この一連の動作も慣れたも
のです。
恥ずかしさは、完全に消せないけど、機械的に
脱ぐ、そして動かないというのは、習慣になっ
てきています。
そして、人前で裸になるという特殊な事をして
いるという自負があり、また、芸術に身を捧げ
ているという献身的な行為には、達成感さえ覚
えます。
誰もが簡単には出来ない事。そして、自分の在
りのままの姿を評価されることで、自己承認欲
求が満たされる感じがします。
ヌードデッサンは、誰かが脱がなければ始まり
ません。それを僕がやる。これは、羞恥心に耐
えるメンタルと裸を提供するサービス精神が無
ければ出来ることではありません。
僕は、人前で芸術の為に脱ぐという行為は、す
ごく崇高なことだと思っています。
多くの人の目の前にスッポンポンの丸裸を晒す
という非日常的な仕事ですが、僕は、今では、
自信を持って脱いでいる感じです。
裸の全身隅々まで熱い視線を浴びて観察される
のは、恥ずかしいけど昂揚感も覚えます。
そこには、恥ずかしさを超えた何かがある。
それが、何かは、まだ解らないけど、人前で脱
ぎ続ける内に悟るのかもしれません。
美術ヌードモデルは、無邪気な裸の天使
僕のヌードを描く側から見た様子を見てみまし
ょう。これは、アトリエで知り合った女友達の
視点です。
彼女は、僕のファーストヌードから女性的な身
体に変化していく様子を余すことなく克明に観
察してきた一人です。
彼女と知り合ったのは、アトリエで僕も描く側
に居た時からです。ですから、彼女は、友達の
ヌードを見るという貴重な体験をしています。
では、彼女の初めて僕のヌードを見た感想を綴
っていきたいと思います。
その日は、男性のヌードデッサンと聞き、どん
な人が来るのか楽しみにしていました。
事前情報では、中性的で綺麗な男性ヌードモデ
ルだそうです。
ペタペタとスリッパに薄手の丈の短いガウンを
一枚羽織った美術ヌードモデルさん。
その顔を見た瞬間(えっ、ウソッ)と驚きまし
た。それは、なんとデッサン仲間で友達の○○
君(僕の本名)だったのです。
ガウンの下から見える白く細い脚がツルンとし
て、とても綺麗です。ガウン一枚で登場した○
○君は、まるで別人の様にみえました。
ガウンの下は、全裸なんだ。
私は、一瞬戸惑いました。
○○君は、時間が来ると、やや緊張した様子で
笑顔で会釈すると、フワッとガウンを脱ぎ、軽
く畳んで床に置きます。
そしてモデル台の上で一糸まとわぬ生まれたま
まの姿を見せてくれました。
(色白で綺麗な身体・・・)
その姿は、中性的で股間にある小さな色白の包
茎の男性器で「男」と性別は、解るけど、小さ
な胸の膨らみと、男性としては綺麗で大きめの
乳首や乳輪、そしてウエストのくびれ、しなや
かな身体のラインなど、普通の男性とはかけ離
れた身体つきです。
男性のヌードは、何度か描いてきている私だけ
ど、その綺麗さにドキドキ。
ツンとした小さな胸の膨らみ。そして普通の男
性モデルの乳首は、こげ茶色なのに対して、○
○君のは、ピンクがかって綺麗な色です。
その上、陰毛が少なく脇の下もツルツルです。
無駄毛が生えていないキメ細やかな綺麗な白い
肌が印象的でした。
今日が、初めてのヌードモデルだそうです。
でも、臆することなく、堂々と見えました。
普段見ている服を着た○○君とは、全然違う裸
の姿に、私は、躊躇いながらも描くために全身
隅々まで視線を送ります。
普段の印象は、ややフェミニンで真面目で清潔
感のある青年ですけど今、目の前の○○君は、
妖艶なエロスをにじませた中性的な裸です。
色白で、やや丸みのある女性的な体型をトレー
スしていくと、普段描く男性モデルとは、異質
の柔らかな雰囲気です。
(女性を描いているみたい・・・)
まさか、普段仲良くしている男友達の裸を拝め
るとは、思ってもみなかった私は、次第に観察
を深めていきます。心の中で(ゴメンね)と思
いながら全身をつぶさに見つめます。
普段フェミニンな感じの○○君は、脱ぐとより
女性的な感じになります。それが、何とも言え
ない雰囲気です。
特に小さな尖った胸の膨らみも印象的です。
普通の筋肉質な男性の盛り上った胸とは、一線
を画する女性的で柔らかな膨らみです。
そして、いよいよ気になっていた男性器を描く
時には、私は、興味津々で容赦なく○○君の股
間を真剣に観察しました。
(○○君って包茎だったんだ。でも可愛い。)
始めて見る包茎の男性器。それは、肌色で先端
がクシュクシュして尖っています。そして、小
さくて可愛い。タマタマの袋も小さく色白で毛
が生えていないので幼く感じます。
男性の場合、脱ぐと性器が丸見えです。
○○君の性器も、嫌でも目に映ります。
私は、色白で綺麗な身体と、小さな可愛い性器
丸出しの○○君が、とても無邪気な感じに思え
てきました。
他のモデルさんもそうですが、人前でヌードを
披露するモデルさんは、天真爛漫な感じが漂い
ます。
今、裸でジッとしている○○君。
同一人物なのに、脱ぐだけで私は、○○君が神
秘的な天使の様な感じに思えました。
人の裸って、何か特別な印象を見る者に与えま
す。特に、デッサンなどでは、その裸をじっく
り隅々まで観察できます。
それが、親しい友人だと、描く側もちょっと照
れくさい感じがします。
普段見慣れた○○君が、別人に見える。服を脱
ぐというだけで、これほど印象が変わるとは、
ちょっと驚きました。
緊張している○○君のために、休憩中など敢え
て声を掛けなかったけど、セッションが終了し
て着替え終わると、私は待っていましたとばか
りに○○君に声を掛けます。
「凄く、綺麗だったよ。初めてのヌードモデル
どうだった?」
「うん、ちょっと恥ずかしかったけど、ポーズ
を取ってしまえば、意外と平気だったよ。でも
裸を見られるのって不思議な感覚だったよ。」
○○君は、照れ笑いしながら答えます。
服を着れば、普通?のフェミニン男子。
でも、ついさっきまで裸だったと思うと、それ
が脳裏に焼き付いて離れません。
それだけ「裸」って印象が深い。
私は、良いものを見せてもらったと満足感に満
たされました。
と、僕の女友達の感想です。
知り合いが居るアトリエでヌードになる。それ
は、何とも言えない気持ちです。
勧められてヌードモデルをしたのですが、やっ
てみると羞恥心以上に達成感を覚えました。
恥ずかしいけど、自分がモチーフになるという
のは、自分が主役です。
いやというほど視線を浴び、ヌードモデルを体
験した僕は、恥ずかしいけど次もやってみよう
と思いました。
一度脱いだだけでヌードモデルに目覚めてしま
ったんです。それだけ人前で脱ぐと言うのは、
衝撃的な体験でした。
中性的という変わったモデルの僕
オッパイがツンとしていて、しなやかで柔らか
な身体のライン。一見すると女性的ですが、股
間には、小さいけど男性器がぼけて見えないけ
ど、しっかり存在します。
これは、僕を描いた作品です。
顔は、ノーメークですが、フェミニンな雰囲気
が漂います。最近は、ガッツリとメークしてい
るほうが多いので、それが日常の顔。素顔を描
かれるほうが、なんだかホッとします。
男性のヌードモデルというと、大抵は、筋肉質
で小麦色の肌で自信満々という感じです。
僕も、何度か描き手として男性を描いてきまし
たけど、90%そんな感じです。
そして、美術ヌードモデルの大半は、女性が占
めています。ヌードという需要の多くが、女性
を描きたいという要望なのでしょう。
それは、綺麗な女性のヌードを描きたいという
人のほうが多いからでしょう。
そんな中、僕は、男性でありながら女性的な身
体付きで中性的なヌードモデルです。
中性的を極めるために、プラエリアというサプ
リや豆乳を飲みバストアップを図り、より女性
的に身体を仕上げました。
無駄毛はアンダーヘアを含めてオールゼロにし
ました。
Aカップの可愛い胸と、男性としては大きめの
綺麗な乳首や乳輪。そして、やや丸みを帯びた
身体付きでウエストのくびれと、柔らかな
脚のライン。
唯一「男」を表す性器は、色白で小さく余った
包皮が、先の尖った包茎です。ちょっと恥ずか
しいのですが、綺麗と評価されています。
およそ普通の男性とは、掛け離れた体型です。
むしろ、性器を除けば女性に近いというか女性
的な身体です。
そんな訳で、僕の場合、男性モデルであっても
「中性的な男性モデル」と完全に区分けされて
モデルをしています。
僕は、一部の小さなアトリエで専属的にモデル
をしています。モデル事務所に所属している訳
でないので、美大とか大きな会場では、モデル
をしていません。
あくまで、メインは、口コミの小さなデッサン
会や個人的な依頼でモデルをしています。
ただ、小さなデッサン会といっても10~30
人程度は、集まります。
初めてモデルをした時は、およそ男らしくない
身体つきでモデルが務まるのかと思ったのです
が、「綺麗」「中性的」と、意外な好評を得て
今に至っています。
中性的なのは、モデルをする前からだったので
すが、美術ヌードモデルをする様になってから
は、より女性的に変身しました。
サプリの効果か、身体の肉付きも女性的な丸み
が増して、より綺麗になりました。
アンダーヘアも完全に処理すると、肌色の小さ
な包茎男性器が、まるでギリシャ彫刻の様な雰
囲気になりました。
という具合に非常に中性的な雰囲気の身体にな
った僕。それが、案外好評です。
普通の男性モデルを描いていると、筋肉質で無
骨な感じなのに、僕の場合、男性を描いている
というより少女を描いている感じだそうです。
僕の身体は、とても女性的なので、普通の男性
を描く先入観は、捨てなければいけません。
そのためか、僕のヌードを観察する視線は、と
ても熱いものがあります。
中性的という普通じゃない体型は、注目を浴び
ます。男性を描いているはずが、女性的な身体
なので、錯覚をするみたいです。
女性みたいな中性的な身体に、色白で綺麗な可
愛い男性器のコラボレーションは、描く人に不
思議な感覚を与えます。
初めて、僕のヌードデッサンをする人は、みん
な「えっ?」と違和感を覚えるそうです。
今日のモデルは、中性的な男性と聞いてはいて
も実際に目にすると、その女性的なフォルムと
雰囲気に驚きを隠せないみたいです。
そのため、僕は、執拗に観察されます。
物珍しさから、そうなるみたいです。
中性的。その魅力は、意外と強い。
でも、僕は、そんな中性的な身体を売りにヌー
ドモデルに励んでいます。
他人の裸を観察するという事
ヌードデッサン。
美術ヌードモデルの赤裸々な姿を在りのままに
スケッチブックに描き出す作業です。
他人のヌードって不思議な魅力があります。
美術ヌードモデルは、ただ服を全て脱ぎ裸にな
るだけなんですけど、やる側も見る側も裸は、
意外と奥が深いものです。
ヌードデッサンは、普段お目にかかれない姿を
じっくり観察できる又とないチャンスです。
男性の場合、性器もじっくり観察できちゃいま
す。女性でも、ポーズによっては、見える場合
もあります。
全身くまなく隅々までモデルさんの裸体を堂々
と観察することが出来ます。
中には、描くの8割であとは、残りは、観察が
主体という人も居ます。
僕も、描く側にも居たので、その気持ちは解り
ます。人の裸ってすごく魅力があります。
僕自身裸でポーズを取りながら(あ~観察され
ているなあ)と思ったことは、数知れません。
でも、ヌードモデルは、ただジッと動かずに見
せ続けなければいけません。
視線って、見られる側に立つと予想以上に感じ
るものです。身体のライン、胸、そして性器と
動かずに集中していても視線は解ります。
普段の生活で、他人をジッと観察するという事
は、あまりありません。
でも、ヌードデッサンは、他人の、それも裸の
在りのままの姿をじっくり観察できます。
でも、それが、この世界では当たり前です。
美術ヌードモデルは、見られるのが商売。見せ
てなんぼの世界です。
恥かしくないかって?そりゃ、恥ずかしいです
よ人間ですもの。
でも、それを押し殺してポーズに専念して良い
ヌードを存分に魅せる。それが美術ヌードモデ
ルという仕事です。
裸には、人それぞれ個性があります。
脱ぐと誰でも一緒の裸じゃないんです。
ちゃんと、その人なりの個性が見えます。
裸だと、何も隠せないので、モデルの気分や性
格まで全て丸見えです。
人間個々のオーラの様なものも感じられます。
そして、堂々と脱いでいるように見えても、消
せない羞恥心が、芸術に華を添えます。
ヌードモデルだからといって、人前で脱ぐのが
好きという訳じゃないんです。
「えっ、そうなの?」と思う人も居るかと思い
ますが、脱ぎたくてとか見せたくてとかで脱い
でいる訳じゃないんです。
あくまで、芸術のため。そのために脱いでいる
というのが多くのモデルの心境です。
もちろん裸を見せるために、ボディーメンテや
脱ぐ心構え、ポーズなどに細心の注意を払いま
すけど「見せたい」とは、ちょっと違います。
お金のためというモデルさんもいますが、4~
5千円の時給で裸を見せるというのは、安いも
のですので、それだけで脱ぐという感覚では、
ありません。
中には、裸を見せるのが好きな人も居るけど、
そうしたヌードは、ナルシストを感じます。
裸にフワッと淡い羞恥心を纏った姿にこそ芸術
があると僕は、思っています。
でも、見る側は、遠慮なく美術ヌードモデルの
裸の姿を観察してきます。
ポーズを取るのに集中しているので考える余地
は、少ないのですが、明らかにエッチな視線を
送ってくる描き手さんも少なくありません。
そういう視線って、描き手の男女問わずあるん
です。
それが、嫌かと言えば案外気にならない。
気になっている暇が無いというのが正直なとこ
ろかもしれません。
裸=エロスですから、脱ぐと決めた以上、僕の
エロスが解放されてしまうので、仕方ないと思
っています。それも自然なこと。
しかも、エロスをより感じる様に身体を作りこ
んでいるので、なおさらです。
今では、僕のエロスを含めて全てを芸術の為に
見てくださいという感じです。
まとめ
人前で裸になる美術ヌードモデルは、見る人に
天真爛漫な無邪気さを感じさせます。
裸の天使。それが美術ヌードモデルです。
彫像をデッサンするのと違い、生身の人間の裸
を目の当たりにすると、その生命力、躍動感、
羞恥心、ぬくもり、そしてエロスと、様々な要
素が溢れています。
美術ヌードモデルも経験を重ねると、そうした
様々な要素を混然一体と醸し出し、美しいヌー
ドを魅せることができます。
ただ、脱いでいるだけじゃ無いんですね。
そして、無邪気に裸になっている様に見えます
けど、良いモデルほど人間特有の羞恥心をさり
げなく漂わせます。
それは、ただの裸のモチーフじゃなくて、一人
の正常な人間である証です。
もしヌードデッサンに参加したら、そんな美術
ヌードモデルの気持ちをくみ取ってみてくださ
い。より深い裸への造詣を感じると思います。
お問い合わせ・ご感想など
管理人に送信されます。非公開です。