裸婦画は芸術か。在りのままの曖昧な視点

美術館

芸術かエロスか・・・

この論争は、いったい何年続いているのやら
たぶん1500年以上ですよね。
いや、厳密にはもっと長いかな。

え~っ、そ、そんなに長いの?
美術史から見ると、そう思います。

永遠に答えが見つからない気がします。

僕は純粋に「良いものはよい」と素直に見る
感性の問題かなと思っています。

 

なぜ裸体を描くのか

西洋美術を鑑賞すると、驚くほど多くの「裸」
題材となっています。

古代ギリシャ・ローマの彫刻は、御承知の通り
裸の彫像がたくさんあります。

古代の彫刻は、人間の真の姿に「神」の姿を感
じとって「神」を見える形にしたかったと思い
ます。
「神」だからきっと、完璧なプロポーションな
はずと、リアルに人間を観察しているけど、か
なり美化した感じに表現していますね。

古代は、純粋に裸を「美」として捉えています

おおらかな時代です。美術品(偶像)に、あえ
てエロを投影する必要を感じていません。
ギリシャ時代のエロスは、もっと崇高な価値観
で現代のエロとは、かなり違います。

ルネサンス期以降は、古典芸術を見直しながら
も新たな作風が次々と生まれてきます。
古代の彫刻より現実的生身の感じが表現されま
す。始めは純真に人間の造形美を描きたかった
はずです。

ただ、一定のルールはあって、裸を描いていい
のは「神話」を題材にしたものだけ。

それでも「神話ならいいのね」と、裸の絵画が
次々と描かれていきます。

4世紀以降、宗教的な制限が強くなります

 

画家が、裸を描く理由

  1. 人間に宿る自然の造形美に魅せられて
  2. 人体の造形を美術的に学ぶため
  3. 純真に裸を描きたい欲求から
  4. 裸の作品を描くように頼まれた

絞り込むと、この4点かな。

1と3は、やや似ていますが、ちょっと違う。
1は、純粋に人体の造形美を芸術と捉えている
3は、愛やエロスを意識して描くいている。
2は、昔から現代まで表現技法の習得手段。

4は、クライアントが存在します。

画家も、趣味だけでは生きていけませんから当
然絵を売らないといけませんよね。中には、ひ
たすら芸術を追い求めた人も居るけど、生活や
画材を買うためにも「描く商売」になってしま
うのは仕方ないことです。

描いて金銭を得るためには、お客が必要です。
商売である以上、需要と供給があります。

「裸」という「ニーズ」があった。

現代に残っている裸婦画の大半は、美しい裸体
を鑑賞したいニーズから生みだされた「商品」

まだ写真の無い時代、リアルに描かれた美しい
裸体は、とても貴重な物だったと思います。
そして、描かせるのは、裕福な貴族でした。

元ネタは「エロス」であっても「甘美な芸術作
品」
として付加価値を付けたのは彼らです。

当時の画家も、まさか自分の描いた商品が後世
で高額な美術品になるとは驚きでしょう。

 

裸とエロティシズム

アトリエ油絵

例えば、この裸婦画を見て、どう感じるでしょ
うか。胸が小さいので少女かな?腰の位置が高
く脚がスラッと長いので日本人女性では無さそ
うですね。

あなたは、美術的なセンスで見ますか。
それともイヤラシ~と見ちゃいますか。

どちらにせよ裸である以上エロスは必然です

例えば、僕の目の前に裸の女性がいたら
純粋にドキドキしちゃいます。
生身じゃなく写真や絵も同じことですね。

健康的な男性なら当然な反応ですよね。
(女性に興味ない方もいますが)

これは、いけない事でしょうか?

いいえ、ごく自然な反応です。

男性から見れば、女性の裸は、性的な魅力や興
奮を
掻き立てる構造になっています。
その事は、女性も意識していると思います。

清楚な女性も、ひとたび服を脱いだら同じです

裸は、エッチなのか。エッチでもあります!

これは、しょうがない。
美術的に見るか、イヤラシ~と見えるか、どち
らも含んでおります。

女性の裸体を扱うのは、芸術でも気を使いま
す。どこまでがOKなのか、線引きが難しい
です。

男性なら、もう少し線引きが緩いですよね。
水泳選手やお相撲さんを載せても問題ない。

この裸婦画が、女性でなくて男性だったら?
男性なら、何も問題なさそうですね。
えっ?まあ、男性だったら・・・

 

中性的で曖昧なエロスもある

この「裸婦画?」のモデルは、僕です。

中性的なモデル

顔や髪形は、少しアレンジしてもらいました。
でも、その他は、ほぼ忠実に描いています。

「う~ん、これは中性的で不思議な感じだ。」

描いた人も僕も驚きですが本人が一番ビックリ

身体は、忠実に描いているので、よく見れば骨
格や肩幅は男性ですね。でも、胸や肌の質感が
女性的なので、言われなければ勘違いしそう。

こういう場合、どのように扱うのでしょうか?

中性的に描いた場合はとても曖昧です。これは
「芸術かエロスか」論争への一種のアンチテー
ゼですね。

中性的な裸体はどのように判断するのでしょう

過去の絵画や彫刻にも中性的な作品は少なくな
い。それにはそれなりの価値?があるのかも。

 

冒頭で、裸婦と思って「イヤラシ~」と見ちゃ
ったた人ゴメンなさい「裸夫」男性でした。
曖昧な姿にもエロスを感じた人は実際居るはず
ですげあ、勘違いでも裸である以上、避けられ
ないことです。

モデルをしている身としては複雑な心境だけど
それもまた真実なんですよね。

 

人はエロスを隠している

パグとベット

動物と違って、人間は普段、服を身に着けてい
るので本来の姿が隠されています。

露わになると性的な特徴もオープンになります

モデルをする場合そうした事も覚悟の内です。
ただ、本人はポーズに集中しているので、さほ
ど意識しませんけど、観察する側の方が、描く
のに夢中とはいえ意識してしまいます。

動物は、発情期があるので、目にしても時期に
ならないと興奮しないけど、人間はオール発情
期。目に入ったら興奮せざるを得ない訳です。

裸な状態は、人間にとってはエッチなもの。

これは、どうしようもない事実です。

動物と違うのは、理性でコントロールできるコ
ト。そして美的センスや感性があります。

美的感性は裸を造形美と捉えることもできます

人間本来の性的な特徴やその存在意義を含めた
上で官能的な裸婦画を美しい造形美の表現と捉
えるのか
厭らしい作品と捉えるかは、個人の感
性の差です。

中には、服を着ていてもエロスを醸し出す女性
もいます。誰が見ても裸体が息をのむほど美し
い人もいます。逆に脱いでも色気を感じられな
い人もいる。

つまり見る人の主観に左右されちゃうんです。

裸を厭らしいと見る場合、その人がそういう風
エッチな側面だけに注目しているというコト

 

裸体は卑しいと誰が決めたのか

裸体が卑しければ人は卑しい存在になります。

人本来の姿は、本当に卑しいモノでしょうか?

例えば、生まれてきた赤ちゃんを見て
「厭らしい!」「ワイセツだわ」とは言わない
幼児が裸で走り回っても、さほど気にしない。

成長につれて、見てはいけないモノになる。

なぜ見てはいけないのか、その理由を
答えられる人は、少ないと思います。

 

裸を卑しいと決めつけたのは、宗教

目線

裸がいけない物になったのは、長い人類史の中
では、割と最近のことです(でも千数百年)

今では世界的になった「ある宗教」が、当時の
世界を支配していたローマ帝国の「国教」に
なったのが西暦392年頃。
その宗教は禁欲的で、ローマ人の裸のお付き合
混浴文化を禁止して、なんとその施設を破壊
していきます。
芸術的裸の彫刻も同様の運命を
たどります。

その上、入浴は身体によくないなどと根拠の無
い教えも広めています。
ゲルマンの地域では、元々入浴習慣がなかった
ので比較的受け入れやすかったのでしょう。

ローマ地域は、ダメといわれつつ徐々に減って
やがてローマの高度な文化も一緒に衰退してい
き、やがて中世暗黒時代へと向かいます。

さて日本はどうか。日本人もローマ人と似てい
てお風呂好きですね。同じ火山国で温泉に恵ま
れていたからかもしれません。
混浴が禁じられたのは150年前のことです。
しかし実際は、昭和30年代ころまで、すたれ
ことなく、そして現代でも残っています。

 

日本古来の考え。エロス=生命の神秘

那智の滝

那智の滝 wikipedia

「ある宗教」に比べて日本人の根底に流れてい
アニミズムは、遥か縄文時代からです。
歴史的に見ても格が違う。

日本の宗教の原点は、1万6千年も続いている
自然崇拝です。

それは、現代の神社でも脈と様々な場面で縄文
信仰が受け継がれています。

例えば、注連縄(しめなわ)意味わかります?
あれ、蛇なんです。それも絡まってます。
古代宗教で蛇は神様扱いが多いですね。

古代の宗教では、性器そのものが御神体。
金精様なんかも、そうした崇拝対象ですね。
生命の神秘を卑しいなど、とんでもない。
命を生み出すモノは、在り難いものなんです。

縄文時代の遺跡からは、性的意味の土偶や石像
が出土しているけど、どう判断するのかな。

那智の滝。上下逆に見るとナルホドと思う。
これも崇拝の対象になるんですね。

リアルすぎて出せないけど、現代でも行われて
いる祭事では、男女のアレが御神体。

日本は、明治に入るまで前は、性に大らかです
混浴文化が有るくらいですから、裸体を卑しい
とは考えていなかったのですね。

江戸時代末期、西洋人が混浴やふんどし姿とか
庭先で行水している女性を見て、はしたないと
感じて、やめさせるように注意したみたい。
でも幕府の役人は、はしたないと思う西洋人の
が、よっぽどはしたない目線だと言ったそう
です。

芸術か、エロスかの論争に、江戸時代の人は、
「そう思うオマエのほうが助平なんや」
と明快に見抜く。

これ、この論争の答えじゃないでしょうか。

 

宗教画なら裸体はOK

ヴィーナス誕生

カミサマノハダカハ、モンダイアリマセーン

1500年も前といえば、聖職者は神の使いと
同格です。庶民は、ほとんど読み書きできない
ので、聖職者の言う事は絶対。

裸は、描いちゃダメ。でも神話なら仕方ない。
画家さんよ、女神様の在り難い、うつくすい
姿を描いてきてくれんかの・・・

と、いうことで芸術家は宗教的な題材で裸を
描いてきました。中には、現代でも「んっ」と
思えるほどリアルな描写もあります。

金持ちの貴族は、それならという事で「神」
の裸体を画家たちに描かせます。

ほう。この女体は、まこと妖艶であるな。
いえ、それは、女神様に御座いまする。
ウム。くるしゅうない。

これ、現代の「芸術か、エロか」と同じです。

ネット全盛の時代に、同じことをしているとは
人間は、あまり進歩していないのかも・・・

 

芸術家のささやかな反発

1863エドゥアール・マネ 草上の昼食

エドァアール・マネの「草上の昼食」1863年
オルセー美術館所蔵

有名な絵画ですね。

これは、芸術ですよね・・・

しかし当時は、判断に迷ったそうです。
実際サロン(官展)では、「不道徳」で落選。

しかし、サロンの審査で落選した作品を集めた
「落選展」で、賛否両論の話題となります。

現代人が見ても「?」な構図。当時としては、
かなり挑発的な作品だったと思います。

この絵の背景は、パリ郊外のブローニュの森と
言われています。そこは、今日でも不品行な行
為が行われる場所と知られていました。

同じ裸体でも、見る者の意識で違うものに見え
るのを狙ったのかもしれませんね。
もし人物はそのままで背景が、違えばどうなの
かそんな悪戯心を感じさせます。

 

飾らない姿は、エロスも真実

1800フランシスコ・デ・ゴヤ 裸のマハ

フランシスコ・デ・ゴヤ「着衣のマハ」
1803年プラド美術館所蔵

背後の一部隠した絵が「裸のマハ」です。
こちらの年代は1800年。
ん?「裸のマハ」が先なんですな。

ゴヤは、ロココ調、ロマン派の画家です。

なぜ後に着衣を描いたか・・・想像してみると
「裸」は官能過ぎてダメ!に対するメッセージ
が見え隠れします。

あえて、裸婦と着衣を全く同じポーズで描くと
同じ女性なのに、それぞれの良さが見えます。

当時最新のファッションなのでしょう。これは
これで美しい女性の素敵な絵です。

きらびやかな衣装を脱ぐと、在りのままの女性
の姿それどころか、なんの飾りもない姿のほう
が、
彼女の魅力を余すことなく伝えています。

比べてみれば、女性の素晴らしさを伝えている
のは圧倒的に「裸のマハ」です。

この二つの作品も画家の問題提起なんでしょう

写真家の篠山紀信さんも、ヌードの方が、洋服
など
のファッションに惑わされずに、被写体の
純粋な美
を表現できると語っていました。
「僕の作品は、基本的にエロティシズム」
この言葉にはヌードの本質が含まれています。

裸なんだから、エロスもまた真実なんですね。

 

まとめ

芸術として見る場合、技法や構図、画家が込め
た想いやなど、様々な要素を総合して鑑賞しま
す。

裸婦画は芸術か?作品は、芸術だと思います。
絵画、彫刻、写真と、人をモチーフにして表現
するなら全て作品=芸術じゃないでしょうか。

裸をどのように扱うのかは、見る人の主観です

エロを感じるならエロい想いで見ている。
裸婦画がエッチに感じるのも自然な感覚です。
それはそれで、やましいとは思いません。

因みに、画家も、ごく自然にエロスを感じなが
ら描いています。絵になる裸体は、おおよそエ
ロい雰囲気なものです。

それもまた、人の真実の姿なのです。

真実から目を逸らさせるのも宗教の一面です。
その点、日本人で良かったと感じます。

 

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