美術モデルは異次元空間。ベルクソンの時間帯へようこそ

時計仕掛け・ヌードモデル

一糸まとわぬ姿でジーッとポーズを取り続ける
美術モデル。ヌードデッサンのモデルは、そこ
だけ時間が止まっている様です。

生きた生身の人間だとは解ってはいるけど、そ
の孤高の姿勢には、不思議なオーラが漂ってい
ます。

今回は、そんな美術モデルを通して「時間」に
ついて深く考えてみたいと思います。

 

美術モデルって何を考えて過ごしているの

美術モデルは、内容にもよるけど大抵は20分
刻みで動かずにポーズを取ります。

たかが20分、されど20分。人間、動かない
というのは想像以上にキツイものです。

試しに、20分じっとしてみて下さい。
恐らくものの10分もしないで耐えられない気
分になってくるはずです。
それをオールヌードでやるのですから、美術モ
デルがいかに特殊な仕事なのだというのが解る
かと思います。

さて、そんなモデルさんたち。ポーズの最中は
何を考えているのでしょうか。

僕の場合ですけど、何も考えていません。正確
には、ポーズを維持することで精一杯ですので
考える暇がないというのが実態です。

中には、考え事しながらポーズを取れる強者も
いらっしゃいますけど、僕の知る限りでは、何
も考えていない人が多いようです。

部屋の一点を見つめて視線を動かさない様にし
たり、身体がぶれないように重心を意識したり
ポーズを維持するだけでも案外大変。
時間の流れも漠然としたものです。気がつけば
タイマーが鳴るといった具合です。

 

モチーフになりきっている

よけいな事は何も考えていないのですが、僕自
身の体験では、慣れてくるに従って在りのまま
の自分を表現している感覚があります。

ヌードの場合、羞恥心はゼロにはできないので
すが、ポーズを取り始めると感覚がマヒしてい
きます。感じている余裕がないともいえます。

客観的に考えると、自分のヌードを惜しげなく
披露しているのは凄い事だと思えるのですが、
ポーズ中は、ヌードというモチーフに完全にな
りきっている感覚です。

裸の肉体を見せるのが仕事と割り切って、出来
るだけそれを美しく魅力あるポーズで見せる。
それが美術モデルの仕事です。

描く側から見ると、良いモデルさんは、裸に自
信があるというか、オーラがあります。
「ほら、描いてごらんなさい」と言わんばかり
の雰囲気に圧倒される人も居ます。

ヌードデッサンというと、人前で全裸になるモ
デルに注目しがちですけど、その場に居合わせ
たヌードを描く描き手さんの心理と言うのも面
白いものです。

では、ヌードデッサンの空間に流れる不思議な
次元について迫ってみたいと思います。

 

ヌードデッサンは異空間

不思議な世界

私たちは日常「服」というアイテムで身体を隠
しています。そして通常は人前で裸を晒すとい
うことはまずありません。

ところが美術モデルの場合、大勢の描き手の前
で一糸まとわぬ姿を露わにします。

これだけでも非日常の異空間です。

そしてモデルは、全身くまなく観察されます。
それは執拗なまでの集中力をもって細部に渡り
見つめられ写し取られていくのです。

日常の世界で、他人をこれだけ凝視するという
のはまずない事だと思います。しかも、他人の
最もプライベートな姿を容赦なく観察するとい
うのはヌードデッサンくらいのものでしょう。
(油絵や彫刻も同様です)

僕は、描く側から描かれる側に転向したので、
描き手から見たモデルやその場の雰囲気も解り
ます。描く側の時、モデルってすごいなと感心
していたのですが、いざ自分がやってみると、
想像以上に異質な空間でした。

 

ヌードはセンサー感度が高くなる

「脱ぐ」という勇気は一瞬。そして、ポーズを
とると、全身に視線が集まる何ともいえない感
触。それは、ちょっと怖いくらいでした。

人前で自分一人がヌード。なんだかとても不思
議な感覚です。

視線を固定しているので、ぼんやりしているの
ですが、自分に視線を向ける描き手の様子は手
に取るように感じます。

ポーズを維持するために全身に意識を集中。息
遣いまで神経を使います。そうなってくると、
周囲の様子は、ますますぼやけてきます。

自分の全身を観察されているのは嫌と言うほど
解るのですが、それは、視覚や聴覚といった直
接的な情報器官じゃなく、うまく説明できない
のですが全身の皮膚感覚から伝わってくる気が
します。

以前書いた「心は皮膚にある?肌と心の関係」
にもある様に、皮膚は最も広く敏感な、センサ
ーです。気配を感じる器官なので、描き手の発
する気配が、ヌードだと全身で受信しているこ
とになります。

つまりヌードの状態は、人間が最も敏感で繊細
な状態といえます。

美術モデルは、人間が本来持っている感覚を最
大に発揮して研ぎ澄ませる究極の状態といえる
かもしれませんね。

 

描く側からみたヌード

他人のヌードを見る。

これは、人が持つ潜在的な欲望の一つです。
人類が服を着る様になってから、ヌードは、特
別なものになってしまいました。
多くの絵画や彫刻がそれを物語っています。

普段私たちは、他人のヌードを直接見る事は容
易な事ではありません。

しかし、それが可能な場所があります。
ヌードデッサン会です。

ここでは、惜しげもなく脱いでくれたモデルさ
んを遠慮なく観察することができます。

さて、そんなデッサン会で、目の前にドーンと
オールヌードのモデルさんが登場すると、大抵
の人は、様々な感情を抱きます。

「芸術や~」と創作意欲を掻き立てられる人も
居るでしょうけど、一番初めに感じるのは、生
々しさとエロスではないでしょうか。

他人のヌードというのは、誰でもドキドキする
ものです。

ヌードというのは「神の作品」それ自体が芸術
でもあるのですが、人間の場合、隠れていたエ
ロスの放出は紛れもない事実。
それを含んでのヌードデッサンです。

そしてモデルさんの肉体を観察しながら描き始
めると、初めての方なら膨大な情報量に圧倒さ
れるのではないでしょうか。

そして他人の裸を遠慮なく見ている自分という
存在にドキドキ。ちょっと優越的な気分です。

しかし、柔らかい複雑な立体、しかも生きたモ
チーフを描くというのは、予想以上に難しいも
のです。いつしかすごい集中力で描くも、なか
なか本物に近づけない焦りを感じてきます。

「さあ描いてごらんなさい」と惜しげもなく肉
体を披露しているモデルさんを目の前に、悪戦
苦闘するはずです。

慣れてくると、モデルの内面まで描くといいま
すが、不慣れなうちは、目の前のヌードと格闘
するはめになります。あっというまに20分の
タイマーが鳴ります。

始めは、他人のヌードに内心ニンマリしながら
も、描き進めると集中してそれどこじゃない。
悠然とポーズを決めているモデルが、手に届か
ない「神の作品」だと実感したりします。

 

ベルクソンの時間帯へようこそ

ゆらぎ

描き手の苦悩を知る僕が、描かれる側へなって
みる。

同じヌードデッサンという時間の中で立場が逆
転するとどうなるのでしょうか。

実は、意外かもしれませんが両者ともある日常
では味わえない特殊な時間の流れを感じている
のです。

えっ、時間なんてみんな同じじゃないの?

それは、時計などで空間の刻みを蓄積で捉えて
いる物理的な時間ですよね。

ここでは、ちょっと不思議な純粋な時の流れ
ついて語っていきたいと思います。

 

ベルクソンの時間帯とは

ベルクソンは、フランスの哲学者です。
彼の「空間と自由意志」という論文の中で、簡
単に要約すると我々が普段意識している時間と
は別に自由に流れる時の流れがあると言ってい
ます。

なんのこっちゃ?と思われる方も居ると思うの
でより詳しく見ていきますと、物理的な時間の
刻みは、蓄積に過ぎず結果である。つまり空間
化されたものであり、それは過去である。

真の時間とは瞬間の連続で持続の流れである。

感覚が言語化すると印象は反射(記憶からの引
出し)になり、正確に真の姿を捉えていないそ
うです。

より噛み砕いてみます。

人間は、瞬間瞬間に捉えた情報を言語化して記
述(頭の中で)することで空間の位置を捉えて
います。これはあとづけにすぎず、直感が捉え
た真の姿ではないと言っています。

つまり、真の時間とは、物理的な時間の流れと
は別なところに存在している。

説明すると難しいのですが、実は、ヌードデッ
サンを通してその「真の時間」を実感すること
ができたのです。

それはどの様なものなのでしょうか。

 

瞬間の連続に集中すると異次元感覚に

ストップウオッチ

美術モデルの集中力は言うに及ばずですが、人
間には通常ありえない「停止」という状態を維
持するために、全身のバランスだけでなく手足
の指の先まで神経を使います。

そうしていると、不思議な浮遊感に包まれて自
我を忘れそうな気分になってきます。
頭の中で数字を数えてみたりするのですが、リ
ズムが狂ってくるのが解ります。そう、時間感
覚がマヒしてくるのです。

何と言うかまったりとした時空の流れの様な不
思議な感覚に浸っている感じです。

動かない様に持続している連続の中で異次元に
紛れ込んだ感覚になります。
これが羞恥心を消す(本当にポーズ中は、なん
ともないんですよね)理由かもしれません。

でも意識は案外はっきりしていて、周囲の様子
も解るし、視線も感じているし、自分の四肢の
微妙な揺らぎも鮮明に解る。

目の前の一瞬が鮮明に連続している感じで未来
と過去の狭間を流れている感じです。

体感的にこれがベルクソンの時間なのかなと僕
は思っています。

 

描く人も感じる真の時間の流れ

実は、ベルクソンの時間は、美術モデルだけで
はなく、描く側も感じることができます。

モデルは、当然ですが生きているので見る瞬間
瞬間、微妙に動いています。

パッと見は微動だにしていない様ですが、鼓動
もあるし身体も僅かに揺らぎがあります。
慣れないうちはこの揺らぎを無理に止めようと
して破たんしちゃうのですが、ベテランになる
と揺らぎを絶妙にコントロールして自然なポー
ズを見せることができます。

描く人は、じ~っとモデルを見た後で、手早く
手元に視線を写し描きます。
そして再びモデルを見るのですが、同じポーズ
に見えて厳密には違っています。
これは、生きている以上、同じ姿は一瞬の産物
だということです。

つまり瞬間の連続を繋ぎ合わせて一つの絵を完
成させているのです。

仮に視線を動かさずに描いたとしても、生きた
人間は絶えず微妙に動いています。デッサンが
写真と違う所以です。生きた生身のモチーフを
描くのはそこが難しくも面白いところです。

出来るだけ正確に瞬間を捉える為にモデルは、
描き手からすごい集中力で観察されるのです。

この時の描き手の時間感覚は、瞬間に関しては
美術モデルと同じなのですが、違うのは目の前
の集中と、追われている様な感覚。

描き手は、目の前のモデルの瞬間的姿を見て過
ぎ去ったモデルの過去を描く作業を同時に行う
ので非常に複雑な処理をしている。

デッサンは、モデルの瞬間を絵として刻む作業
です。高い集中力で瞬間を見つめながら、絵と
して時の流れを空間化しているのです。

そこにはやはり真の時間を見つめる眼差しが存
在しているのです。

 

まとめ

美術モデルをしていて慣れないのが途中に挟む
休憩タイム。タイマーの音でガウンを羽織るの
ですが、その瞬間、自分が裸なんだと思い知ら
されます。

この時、ポーズをとっていた時間から現実に引
き戻された感覚が今回の記事発端です。

何気ない時間の流れですけど、哲学的に考えて
みると意外な発見があるものです。

みなさんは「瞬間」を大切にしていますか?

集中力の高い瞬間を見つめたいならヌードデッ
サンはお勧め?です。

ぜひ一度ベルクソンの時間帯を体験してみては
いかがでしょうか。

 

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